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「猪牙」の読みごとの意味や語源、用例・使われ方を深掘りレポート

動物や自然にまつわる言葉には、時代とともに多様な意味が付与され、複雑な歴史を持つものが多くあります。

拙ブログでは、「生き物にまつわる言葉を深掘り」のテーマで、以下のような「猪」関連の言葉を深掘りしてきました。

www.ariescom.jp

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猪突猛進、猪口、猪の目に続いて、今回深掘りするのは「猪牙」という漢字二文字。

この言葉は、同じ表記でありながら全く異なる二つの読み方と意味を持ち、それぞれ日本の歴史や文化に深く関わっています。

この記事では、「猪牙」の持つ二つの顔と、その由来、具体的な用例を深掘りリサーチし、その結果を詳しくご紹介します。

言葉の深掘り:「猪牙」— 牙と舟と書道道具、三つの顔を持つ言葉の魅力

「猪牙」という言葉は以下の3つの読みごとに意味を持ちます。

  • 猪牙(いのき、いのきば):イノシシの牙(魔除け・装飾品)
  • 猪牙(ちょき):猪牙舟(江戸の高速艇)
  • 猪牙(ちょき):金泥・銀泥磨き用の書道用具

1. 牙そのものを指す:「猪牙(いのき)」

意味と由来

「猪牙」の最も直接的で古い意味は、「いのししのきば(牙)」です。この場合の読みは「いのき」です。

  • 猪(いのしし): 獣のイノシシ。
  • 牙(きば): 哺乳類の歯のうち、長く尖って突出した犬歯のこと。

この「猪牙(いのき)」は、古来より単なる体の部位としてだけでなく、特別な力を持つものとして扱われてきました。

イノシシが持つ荒々しくも強力な生命力にあやかり、魔除けや護符、または権威を示す装飾品として利用されてきた歴史があります。

「いのししのきば(牙)」としての用例
  • 「狩猟の獲物から取り出した猪牙(いのき)は、珍重された。」
  • 「この古い装飾品は、磨き上げられた猪牙を素材としている。」

2. 江戸の高速艇:「猪牙(ちょき)」

意味と由来

現代で「猪牙」という言葉が用いられる場合、最もポピュラーなのがこちらの「ちょき」という読み方です。これは「猪牙舟(ちょきぶね)」という船の名称を略したものです。

猪牙舟は、主に江戸時代に江戸市中の河川(特に隅田川など)で活躍した小型で細長い船を指します。

  • 由来: 船の舳先(へさき)が、まるでイノシシの細く尖った牙(きば)のように鋭く突き出た形をしていたことから、「猪牙」の名がつけられました。
  • 特徴: 非常に軽くて小回りが利き、速度が速いのが特徴でした。
    当時の庶民や遊興客が急いで移動する際、特に吉原遊廓への通いの足として盛んに利用されました。このため、「山谷舟(さんやぶね)」という別名もあります。
猪牙船としての「猪牙」の用例

この意味での用例は、主に江戸時代を舞台にした小説や時代劇、歴史文献などで見られます。

  • 「今晩は猪牙(ちょき)に乗って、夜の川風を楽しむとしよう。」
  • 「急ぐ客を乗せ、船頭が威勢よく猪牙舟を漕ぎ出した。」
  • (当時の俗語)「吉原へ向かうことを『猪牙(ちょき)る』と表現する者もいた。」

3. 書道用具としての「猪牙(ちょき)」

意味と用途

「猪牙」は、主に金泥や銀泥(本物の金や銀の粉末を膠(にかわ)で溶いた絵具)で書かれた文字や絵の表面を磨き、輝きを出すために使われる伝統的な道具です。

  • 材質: 本物のイノシシの牙を加工して作られています。
  • 仕組み: 金泥や銀泥は、書いた直後は表面に凹凸があるため、光沢があまり出ません。そこで、硬く滑らかな猪の牙で文字の表面を優しく磨くことで、金銀の粒子が平滑になり、本来のまばゆい輝き(光沢)を引き出すことができます。
  • 伝統: この技法は非常に古く、天平時代(奈良時代)から写経などで使われてきた長い歴史があります。

書道用具としての「猪牙(ちょき)」も用例
  • 「この写経は、書いた後に猪牙(ちょき)で丁寧に磨き上げられている。」
  • 「金泥磨きには、適度な硬さを持つ猪牙が必要不可欠だ。」

 

江戸の高速タクシー:猪牙船(ちょきぶね)の活躍とその背景

猪牙舟 - Wikipedia

語源は、
明暦年間に押送船の船頭・長吉が考案した「長吉船」という名前に、形が猪の牙に似ていることとをかけて猪牙と書くようになったという説と、
小早いことをチョロ・チョキということからつけられたとする説、
川の上にちょんと乗っているように見えるため「ちょんき舟」が訛った説
の3つがある。
江戸市中の河川で使われたが、浅草山谷にあった吉原遊廓に通う遊客がよく使ったため山谷舟とも呼ばれた。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/53/Chokibune.jpg

猪牙舟。江戸職人歌合. 石原正明著(永楽屋東四郎発行、1900年)

 

「猪牙船(ちょきぶね)」は、江戸の川を舞台に活躍した、独自の文化と歴史を持つ小型船です。

その鋭い舳先から名付けられたこの船は、単なる移動手段ではなく、当時の人々の生活や遊興文化を象徴する存在でした。

猪牙船の構造と活躍の様子

1. 「猪の牙」のような構造

猪牙船の最大の特徴は、その名の通り、猪の牙のように細長く鋭い舳先(へさき)を持つ構造です。

全長は約3間(約5.4m)から4間半(約8.1m)ほどと小型でした。

  • 速度と機動性: 船体が細く軽量であるため、抵抗が少なく、非常に速い速度で移動できました。
    また、小回りが利くため、混雑した江戸の川でも機敏に航行できました。
  • 用途: 主に人や軽貨物の運送に使われましたが、そのスピードから、時間や体面を気にする武士や商人、そして遊興客にとって、最も好まれる移動手段となりました。
2. 川を駆ける「江戸のタクシー」

猪牙船の活躍は、現代のタクシーに近いイメージです。彼らは、決められたルートを往復するのではなく、客の求めに応じて臨機応変に川岸や船着き場から目的地まで送迎を行いました。

賑わいの中心である日本橋や、隅田川沿いの各所には、猪牙船が集まる「猪牙船溜まり(ちょきぶねだまり)」があり、客を待ち受けていました。

船頭たちは、客引きや料金交渉を行いながら、水路を縦横無尽に駆け抜けていました。

渡し船のような仕組みがあったのか?

仕組みの違い

猪牙船は、基本的に「渡し船」のような公的な定期航路の仕組みは持っていませんでした。

  • 渡し船: 決められた地点(岸と岸)を往復し、料金も公的に定められている、今日のバスやフェリーに近い公共交通機関です。
  • 猪牙船: 料金は交渉で決まることが多く、客の目的地に応じて自由な航路をとる、今日のタクシーに近い私的な移動サービスです。

したがって、猪牙船は「渡し船」とは異なる、不定期で個別対応のサービスとして流通していました。

猪牙船は、吉原遊郭への通いの足としてだけ?

猪牙船は吉原遊郭への通いの足「だけ」として流通していたわけではありません。

実際には、江戸市中の重要な移動手段として広く使われていました。

1. 実際の幅広い流通

猪牙船は、荷物を積まない急ぎの移動が必要なあらゆる場面で利用されました。

  • 急用: 武士や商人の急な連絡、重要な会議への移動など。
  • 見物: 隅田川の花火見物や両国橋界隈の芝居見物など、遊山のための移動。
  • 高級な移動: その速さと便利さから、富裕層や身分が高い人々の「足」として重宝されていました。
2. 吉原通いと結びついた理由

にもかかわらず、「吉原遊郭への通い」というイメージが特に強いのは、以下の理由からです。

  • 経路の特殊性: 吉原遊郭は、当時の市中から離れた浅草山谷地区にありました。
    多くの客は、日本橋や新吉原に近い今戸の船着き場まで川を上り、そこから陸路で吉原へ向かうのが一般的で、この川の移動区間に猪牙船が必須でした。
  • 時間の重要性: 遊興客にとって、早く吉原に到着して遊ぶ時間を確保することは非常に重要でした。そのため、遅い渡し船ではなく、高額でも速い猪牙船を選ぶのが一般的でした。
  • 文学・美術での描写: 吉原通いは、当時の浮世絵や文学(川柳、洒落本など)の格好の題材となりました。
    これらの作品の中で、猪牙船が遊びの始まりを象徴するアイテムとして繰り返し描かれたため、そのイメージが強く残ることになりました。

このように、猪牙船は江戸の「高速艇」として幅広く使われましたが、吉原通いという象徴的な場面で最も目立つ存在であったため、「通いの足」としての印象が際立っているのです。

猪牙船の「たまり場」を偲ぶ史跡

猪牙船が発着した主な場所は、江戸の交通の要所であった隅田川沿いや、吉原へ向かうための水路だった山谷堀周辺です。

1. 山谷堀(さんやぼり)周辺

吉原遊郭への重要なルートだった山谷堀は、猪牙船の船着き場や船宿が並び、最も賑わった場所の一つです。

  • 山谷堀公園(台東区):山谷堀は昭和時代に埋め立てられ、現在は公園となっています。公園内には、当時の様子を伝える説明板が設置されているほか、猪牙船の実物大レプリカ(またはモニュメント)が展示されており、その形状や大きさを確認できます。この公園は、かつての水路の跡地を辿ることで、猪牙船の航路を想像できる貴重な場所です。
  • 今戸橋・日本堤:猪牙船は山谷堀を上り、今戸橋付近の船着き場で客を降ろしました。客はここで船を降り、土手道である日本堤(にほんづつみ)を歩くか駕籠(かご)に乗って吉原へ向かいました。

これらの場所には、当時の様子を伝える案内板が設置されています。

2. 柳橋(やなぎばし)周辺
  • 柳橋(台東区・中央区):神田川と隅田川の合流地点に位置する柳橋周辺には、多くの船宿が集まっていました。遊興客はここで猪牙船を雇い、吉原へと向かうのが一般的でした。

現在、当時の船宿は残っていませんが、柳橋の橋のたもとなど、江戸の風情を残そうとする取り組みが見られます。

3. 深川江戸資料館(江東区)

常設展示室に、江戸時代末期の船宿と猪牙船が実物大で復元されており、当時の船着き場の雰囲気や船の姿を具体的に知ることができます。

深川江戸資料館 - Wikipedia

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8c/Fukagawa_Edo_Museum_on_the_30th_of_october_2010_-_92.jpg

 

まとめ: 三つの「いのき」が「ちょき」になった歴史

「猪牙」という漢字は、元々はイノシシの牙(いのき)という自然由来の単語でした。

しかし、その鋭く、速く突き進むイメージが、江戸時代に生まれた新しい高速な小舟に重ね合わされ、「ちょき」という新たな読みと意味を生み出したのです。

一つの漢字表記から、原始的な魔除け文化と、江戸の華やかな交通文化、美術工芸という、全く異なる三つの歴史を読み取れる「猪牙」。

一つの言葉から、日本の多様な文化が見えてくるのは非常に興味深いですね。

言葉の奥深さを感じさせてくれて、興味深いですよ!「猪牙」。