東名高速道路の東京インターチェンジは、東京都世田谷区にある、東名高速道路起点にあるインターチェンジです。隣接して首都高速3号渋谷線の用賀出入口(ようがでいりぐち)があるので、よく「用賀インター」とも呼ばれますが、用賀インターは正式名称ではありません。
この「用賀」という地名の由来が、本投稿のテーマです。以下の目次に沿って解説します。
用賀の地名の由来(諸説)
用賀の地名の由来は、諸説あり、いまだ確定していません。
最も有名な説
最も有名な説は、鎌倉時代初期に真言宗の瑜伽(ゆが)・ヨーガ(ヨガ)の道場が開設されたことが由来というものです。
この説では、梵語の「ユガ」が「用賀」に転訛したとされています。
用賀商店街のウェブサイトでもこの説が紹介されているので引用します。
「新編武蔵国風土記」には村の草創は、永禄、元亀の頃(1558〜72年)、飯田帯刀、同、図書、ナドトイヘル人の開発ナリトイヘドモ、スベテタシカナルコトハツタエズと記してあります。後に飯田帯刀の子、図書が真福寺を開基したことによって、村が開かれたといわれています。
用賀という地名は鎌倉時代初期に勢田郷に瑜伽(梵語:ユガ)の修験道場が開設され、後に真福寺の所有となったことからこの梵語「瑜伽:ユガ」がヨーガの地名となったといわれています。
上記の用賀商店街のサイト以外では、かつて、世田谷区公式サイトでも同様の「用賀の地名の由来」が掲載されていました。
世田谷区の現在のサイトには、
「鎌倉時代の初期、勢田郷にユガ(=ヨガ)の道場が開設されたのが、用賀の由来」という説が巷間に流布しているが、「鎌倉時代初期にヨガの道場、云々」という事には、然したる根拠がなく、事実とは認めがたい。したがって、用賀の地名の由来については不明である。
と記載されていますが、
Wayback Machineで、平成24年更新分の世田谷区公式サイトの該当コンテンツを見つけましたので、以下に引用しておきます。
鎌倉時代の初期に勢田郷にユガ(梵語)の道場が開設されて、後にこの地が真福寺の所有する所となったことから、このユガがヨーガになったのではないかと言われている。
眞福寺の公式サイトにもヨガ道場のことは記載されています。
眞福寺について
用賀の赤門寺と呼ばれる真福寺は、およそ四百年前に創建され
鎌倉時代この地に真言密教をおさめる瑜伽(YOGA)道場があったと言われている
現在の世田谷区のサイトでは、上記コンテンツが削除・更新されていることからも推察されるとおり、この「ヨガの道場」説には以下の様な疑問点が指摘されています。
- 根拠の薄さ: 鎌倉時代初期にヨガの道場があったという確固たる証拠は見つかっていません。
- 真福寺の創建時期: 用賀にある真福寺は、ヨガの道場があったとされる時代よりも後の永禄・元亀年間(1558年-1573年)に創建されました。
- 瑜伽山という山号: 真福寺の山号が瑜伽山であることから、ヨガの道場があったと推測する説もありますが、この山号は1946年(昭和21年)に付けられたものであり、より古い時代からのものではありません。
これらのことから、「鎌倉時代初期にヨガの道場があった」という説は、現時点では俗説と考えられています。
Googleストリートビューで、現在の真福寺をご確認いただけます。用賀一条通りに面しています。
その他の説
- 新編武蔵国風土記: この書物によると、用賀は永禄・元亀年間(1558年-1573年)に後北条氏の家臣飯田帯刀とその息子飯田図書によって開発されたと記されています。
- 用賀の草創: 用賀は、元々この地に住んでいた農家と、後に移り住んだ7軒の家によって開かれた村であるという説もあります。
真福寺は「用賀一条通り」に存在
用賀の条通りについて
用賀の条通りは、京都の碁盤の目を彷彿とさせる、規則正しく区画された道路の名称です。
歴史的な背景:
昭和10年代、用賀が住宅地へと変貌を遂げる際、目印となるものがなく、住民が道に迷うことが多々ありました。そこで、地元住民の手によって、一条通り、二条通りといった名前が付けられ、道案内として機能するようになったのです。
用賀条通りの特徴:
手作り感あふれる表示板: 用賀中学校の生徒が制作協力し、町会役員の手によって取り付けられました。
分かりやすい道案内: 数字の順番に通りが並んでいるため、目的地を探す際に役立ちます。
地域住民の協力: 条通りの誕生には、多くの地域住民の協力がありました。
用賀条通りの目的:
迷子防止はもちろんのこと、地域住民のコミュニティ形成にも貢献しています。
まとめ
用賀の地名の由来は、はっきりとしたことはわかっていません。
ヨガの道場説が広く知られていますが、根拠が薄いという指摘もあり、他の説も考えられます。
現時点では、用賀の地名の由来は謎に包まれていると言えるでしょう。