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「鳥取部と鳥養部」を深掘りリサーチ!古代日本で"鳥を扱った氏族"についてまとめレポート

今回の「生き物にまつわる言葉を深掘り」のテーマは、「鳥取部」と「鳥養部」です。

古代日本で"鳥を扱った氏族"である「鳥取部(ととりべ)」と「鳥養部(とりかいべ)」について深掘りリサーチし、その結果を以下の目次に沿ってまとめでレポートとしました。

 

鳥取部と鳥養部の時代と地域

鳥取部と鳥養部は、日本の古代、特に大和朝廷(ヤマト王権)が形成された古墳時代から飛鳥時代にかけて活躍した氏族と考えられています。

これらの氏族は、その名称から鳥を扱うことを生業としていたことがわかります。

具体的な居住地域については、全国各地に散らばっていた可能性がありますが、詳細な記録は残されていません。

部民制 - Wikipedia

部民制(べみんせい)とは、ヤマト王権制度であり、王権への従属・奉仕の体制、朝廷の仕事分掌の体制をいう。関連する概念に伴制がある。

王権への従属・奉仕、朝廷の仕事分掌の体制である。

その種類は極めて多く、部は職業を軸とした職業部と、所属対象を軸とした豪族部および子代・御名代の2つのグループに分かれる。

職業部は、具体的な職掌名を帯びる部のことで、それぞれ伴造に統率され、朝廷に所属する。

海部(あまべ)・錦織部(にしごりべ)・土師部(はじべ)・須恵部(すえべ)・弓削部(ゆげべ)・麻績部(おみべ)・渡部(わたりべ)・犬養部(いぬかいべ)・馬飼部(うまかいべ)・鳥飼部(とりかいべ)・解部(ときべ)、大神部(おおみわべ、おおがべ)、物部(もののべ)、日下部(くさかべ、草香部)などの例がある。

 

鳥取部

鳥取部(ととりべ)は、主に水鳥を対象としていたと考えられています。

日本書紀には、垂仁天皇の時代に鵠(くぐい)という水鳥の捕獲とあわせて、鳥取部と鳥養部の設置が記されています。

鳥養部 - Wikipedia

「鳥取部」は史料では武蔵国・美濃国・出雲国・備中国に確認されており、郷・駅・神社の名称としては、河内国・和泉国・越中国・丹後国・因幡国・備前国・肥後国、下総国、伊勢国などに見られる。

鵠は、現在のハクチョウの一種と考えられており、その美しい姿から観賞用としても珍重されていました。

  • 捕獲対象の鳥: 鵠の他にも、鴨、雁、鷺などの水鳥が主な捕獲対象であったと考えられます。これらの鳥は、食用や羽根を採取するための資源として重要でした。
  • 役割: 捕獲した鳥は、朝廷に献上されたり、民衆に供給されたりしたと考えられます。また、鳥の羽根は、矢羽や装飾品などに使われました。

鳥取部の鵠捕獲方法

鳥取部がどのように鵠(ハクチョウの一種)を捕獲していたか、具体的な方法は史料に詳しく記されていません。

しかし、当時の狩猟技術や鵠の生態から、以下のような方法が考えられます。

  • による捕獲: 大きな網を張り、そこに鵠をおびき寄せて捕獲する方法です。
  • による捕獲: 餌を仕掛けた罠に鵠を誘い込み、捕獲する方法です。
  • 弓矢による捕獲: 遠くから弓矢で射る方法です。

これらの方法は、当時の狩猟技術としては一般的なものであり、鵠の生息地である湖沼や河川で行われていたと考えられます。

鳥取県の名前の由来

「鳥取」という地名は、古くからこの地域に存在していた「鳥取部」という氏族に由来すると考えられています。

  • 鳥取部: 前述の通り、鳥取部は鳥を捕獲したり飼育したりする仕事を専門とする氏族でした。
  • 地名への反映: この氏族が住んでいた地域に「鳥取」という地名がつけられ、それが現在の鳥取県へとつながっていったと考えられています。
なぜ「鳥取」なのか?
  • 職業に由来: 鳥を扱うことを生業としていたことから、「鳥を取る」という意味で「鳥取」と呼ばれるようになったと考えられます。
  • 神話の要素: 日本書紀には、垂仁天皇の皇子である誉津別皇子が、鳥の声を聞いて初めて言葉を話したという伝説があり、この出来事をきっかけに鳥取部が設置されたという記述があります。この神話も、「鳥」とこの地域との結びつきを深める要素となっています。

鳥取県の名前は、古代の氏族である鳥取部の活動に深く根ざしています。

鳥を扱うことを生業としていた鳥取部が、この地域に定住し、その名前が地名として定着したのです。

 

鳥養部

鳥養部(とりかいべ)は、捕獲した鳥を飼育し、様々な用途に利用していました。

鳥養部 - Wikipedia

鳥養部(とりかいべ)は、大化の改新以前に、朝廷の求めに応じて、鳥取部が捕獲した鳥類の飼育・養育に従事した職業部(品部)。

・・・

「鳥養部(鳥甘部)」は大和国のみに見られ、地名などから、大和の軽、磐余(いわれ) や摂津国・筑前国・筑後国などにある鳥養村・鳥養郷などに居住したものと考えられている。

飼育されていた鳥の種類としては、以下のものが考えられます。

  • ハト: 伝書鳩として利用され、遠隔地への情報伝達に役立てられました。
  • 鷹: 狩猟に用いられ、野鳥を捕獲する際に使われました。
  • 鶏: 食用や闘鶏など、様々な目的で飼育されていました。
  • その他の鳥: 観賞用や宗教的な儀式に用いられる鳥もいたと考えられます。

飼育目的:

飼育された鳥は、主に以下の目的で利用されたと考えられます。

  • 食用: 食用となる鳥を飼育し、安定的な食料源を確保しました。
  • 観賞: 美しい鳥を飼育し、観賞用とした可能性もあります。
  • 伝令: ハトなどの伝書鳩を飼育し、遠隔地との連絡に利用した可能性もあります。
  • 狩猟: 鷹などの猛禽類を飼育し、狩りに利用した可能性もあります。

鳥養部が飼育していたハトの種類

鳥養部が飼育していたハトの種類については、特定することは困難です。

しかし、当時の日本で飼育されていたハトとしては、以下のものが考えられます。

  • ドバト: 野生種が家畜化されたもので、最も一般的なハトです。
  • 伝書鳩: 遠距離の通信に利用されたハトで、品種改良が進められていました。
  • 観賞用のハト: 美しい羽を持つハトなどが、観賞用として飼育されていました。
  • 鳥養部は、これらのハトを交配させ、目的とする特徴を持ったハトを作り出していた可能性もあります。

鳥の羽根の装飾品への加工

鳥の羽根は、古くから装飾品として利用されてきました。鳥養部が飼育していた鳥の羽根は、以下のような装飾品に加工されていたと考えられます。

  • 矢羽: 弓矢の矢先に取り付けられ、飛距離や命中率を高める役割がありました。
  • 扇: 羽根を束ねて作った扇は、涼をとるためや、儀式に用いられました。
  • 冠: 冠に羽根を飾り、身分や地位を表しました。
  • 衣服の装飾: 着物や衣装に羽根を縫い付け、華やかさを添えました。

これらの装飾品は、当時の貴族や武士の間で広く愛用されていました。

鳥養部、馬飼部、猪養部について

鳥養部、馬飼部(うまかいべ)、猪養部(いのやいべ)は、古代日本の部民制において、それぞれ鳥、馬、猪に関する専門的な知識や技術を持ち、それらの飼育や管理を主な任務としていた集団です。

各部の役割と特徴

鳥養部:

  • 役割: 鳥の飼育、狩猟、貢納。鷹狩りなど、鳥を訓練し利用する技術も持っていたと考えられています。
  • 特徴: 鳥に関する深い知識を持ち、鳥の生態や習性などを熟知していたと考えられます。
  • 関連地名: 鳥飼、鳥養、鳥取など、鳥に関連する地名が全国各地に見られます。

馬飼部:

  • 役割: 馬の飼育、調教、貢納。馬は交通手段だけでなく、軍事力としても重要であったため、馬飼部の役割は非常に大きかったと考えられます。
  • 特徴: 馬の品種改良や病気の治療など、高度な技術を持っていたと考えられます。
  • 関連地名: 馬場、馬込など、馬に関連する地名が全国各地に見られます。

猪養部:

  • 役割: 猪の飼育、狩猟、貢納。猪の肉は食料として、皮は衣服や道具の材料として利用されていました。
  • 特徴: 山林に生息する猪に関する深い知識を持ち、狩猟技術も優れていたと考えられます。
  • 関連地名: 猪苗代(いなわしろ)など、猪に関連する地名が一部に見られます。語源に関しては、「猪養部(いのやいべ)」という古代の部民が関与している可能性があります。この部民は、猪を飼育することに特化した集団であり、猪苗代の地名はこの部民の活動や居住地に由来している可能性があります。

部民としての位置づけ

これらの部民は、中央政府や豪族に属し、専門的な技術を持つことで特別な地位を確立していました。しかし、同時に、その専門性ゆえに他の部民とは異なる生活を送っており、一部の文献では、顔に刺青を施すなどの特徴が記されているものもあります。

歴史的背景

これらの部民は、古代の社会において食料の確保や交通手段の整備など、生活に不可欠な役割を担っていました。

しかし、時代が下るにつれて、彼らの役割は変化し、一部の部民は豪族や地方豪族に吸収されたり、新たな職業に転身したりしていきました。

鳥養部、馬飼部、猪養部は、古代日本の社会において、特定の動物に関する専門的な知識と技術を持つ集団でした。彼らの存在は、当時の社会が自然と密接に関わりながら成り立っていたことを示す重要な証拠です。

 

鳥取部や鳥養部は大和朝廷において、重用されていたのか?

鳥取部や鳥養部は大和朝廷(ヤマト王権)において、特殊な地位を有していたと考えられます。

重用されていた側面:

古事記や日本書紀に記されるように、朝廷の創設期から鳥取部や鳥養部は存在し、天皇の命により鳥の捕獲や飼育に従事していました。

鳥は単なる動物ではなく、神聖な存在として扱われており、その捕獲や飼育は特別な技術と知識を必要とするため、朝廷にとって重要な役割を担っていたと考えられます。

鳥取部や鳥養部が朝廷に貢納した鳥は、儀礼や祭祀に用いられた可能性があり、朝廷の権威を象徴するものであったと考えられます。

重用されていなかった側面:

鳥養部には、馬飼部猪養部と同様に、面に黥(いれずみ)された者があり、賤民として位置づけられていたという説もあります。

鳥取部や鳥養部の多くは、地方に居住していたと考えられており、中央政権との距離は遠かった可能性があります。

地位は?

特殊な地位:

鳥取部や鳥養部は、他の部民とは異なる、特殊な地位を有していたと考えられます。
鳥の捕獲や飼育は、特別な技術と知識を必要とするため、専門的な職業集団として位置づけられていたと考えられます。

一方で、賤民として位置づけられていたという説もあり、その地位は明確ではありません。

多様な解釈:

鳥取部や鳥養部の地位については、様々な解釈が存在します。
古代史の研究が進んだ現在でも、その実態は完全には解明されていません。

 

鳥養部と鳥取部に関する地名や苗字について

「鳥養部」と「鳥取部」は、どちらも鳥に関する仕事や役割と結びついた古代の部民(べみん)の名称です。

これらの部民たちは、主に鳥を捕まえたり、飼育したりする仕事に従事していたと考えられています。

地名

これらの部民の名称に由来する地名としては、以下のものが挙げられます。

  • 鳥飼(とりかい):全国各地に見られる地名で、鳥養部が住んでいた地域に由来するケースが多いです。
  • 鳥養(とりかい、とりよう):鳥養部が直接的な由来と考えられる地名です。
  • 鳥取(とっとり):鳥を捕らえる場所や、鳥を飼育する場所という意味があり、鳥取部が住んでいた地域に由来する可能性があります。

これらの地名は、必ずしも鳥養部や鳥取部が住んでいた場所を指すとは限りませんが、その可能性が高い地名と言えるでしょう。

苗字

これらの部民の名称に由来する苗字としては、以下のものが挙げられます。

  • 鳥飼(とりかい):鳥飼という苗字は、鳥飼という地名から派生したと考えられています。
  • 鳥養(とりかい、とりよう):鳥養という苗字は、鳥養という地名や、鳥養部という部民の名称から派生したと考えられています。
  • 鳥取(とっとり):鳥取という苗字は、鳥取という地名や、鳥取部という部民の名称から派生したと考えられています。

これらの苗字は、日本各地に分布しており、その多くが古代からの歴史を持つ古い苗字です。

その他

  • 部民:部民とは、古代の日本で、特定の仕事や役割を担っていた集団のことです。鳥養部や鳥取部の他にも、様々な種類の部民が存在していました。
  • 氏族:部民は、次第に氏族へと発展していきました。氏族とは、血縁関係に基づいた集団のことです。

「鳥養部」と「鳥取部」は、古代の日本において鳥に関する仕事に従事していた部民の名称であり、これらの名称に由来する地名や苗字が現在も日本各地に残っています。

 

まとめ

鳥取部と鳥養部は、古代日本において、鳥を扱うことを専門とする氏族でした。それぞれの氏族は、鳥の捕獲や飼育を通じて、食料の確保、情報の伝達、そして文化的な側面において重要な役割を果たしていたと考えられます。

彼らの活動は、当時の社会に様々な影響を与え、人々の生活を豊かにしたと考えられ、大和朝廷(ヤマト王権)において、鳥の捕獲や飼育という特殊な役割を担っていたと考えられます。

朝廷から重用されていた側面もあれば、賤民として扱われていた側面もあり、その地位は複雑で多面的であったと考えられます。

鳥取部と鳥養部の名称に由来する地名や苗字が現在も日本各地に残っています。これらの地名や苗字を辿ることで、古代の日本人の生活や社会構造について、より深く理解することができます。

興味深いですよ!「鳥取部」「鳥養部」。