前回の「生き物にまつわる言葉を深掘り」は「虫の知らせ」をテーマに話しを進め、「三尸・三虫の信仰」は、庚申信仰と密接な関係があることに言及しました。
また、「猿神」をテーマにした「生き物にまつわる言葉を深掘り」では、
"山神としての猿信仰が、仏教とともに流入したインドの土俗神とおそらく習合し、さらに「日吉」「庚申様」「馬頭観音」「猿田彦」などの猿と関連づけられた“看板”を・・・・」と、言及します。
今回の「生き物にまつわる言葉を深掘り」のテーマは、その「庚申(かのえさる、こうきんのさる、こうしん)」です。
庚申様(庚申信仰)には、「申(さる。十二支の第九。動物ではサル。方位では西南西。時刻では午後四時およびその前後二時間。)」の漢字がはいっています。
「庚申」そして「猿」との関係などを深掘りリサーチし、以下の目次に沿ってレポートしていきます。
庚申信仰とは?
庚申信仰とは、中国道教の「三尸説」を起源とする日本の民間信仰の一つです。
「『虫の知らせ』を深掘りリサーチ!」でも記載したように、
人々の体内には「三尸(さんし)」と呼ばれる三匹の虫がおり、60日に一度巡ってくる庚申の日に、人が眠っている間に体から抜け出し、天帝にその人の悪事を報告すると考えられていました。そのため、庚申の夜は眠らずに過ごし、三尸が天に昇るのを防ぐという風習が生まれました。
庚申信仰の特徴
- 複合的な信仰: 道教だけでなく、仏教、神道、修験道、民間信仰などが複雑に絡み合った信仰です。
- 地域差: 地域によって信仰の形態や神様、行事が異なります。
- 庚申塔: 庚申信仰の象徴的なもので、各地に数多く建てられています。
庚申信仰の歴史
中国道教の三尸説に端を発し、平安時代に日本に伝わりました。
- 発展: 江戸時代に最も盛んになり、庶民の間にも広く信仰されました。
- 現代: 現代では、一部の地域で信仰が続いているものの、かつてのような盛況ぶりはありません。
庚申信仰は、日本文化の多様性(日本文化の奥深さ、多様性、八百万の神などの宗教観など)を垣間見ることができる信仰です。 歴史的な背景や、人々の願いが込められた信仰に、ロマンを感じることができます。また、各地の庚申信仰は、その地域の文化や歴史を反映しており、地域研究の対象としても興味深いものです。
庚申様とは?
庚申様は、庚申信仰における総称的な呼び名で、人々の長寿を願い、邪気を払う神様として信仰されてきました。庚申様は、単一の具体的な神様というよりは、様々な神々がその役割を担ってきた複合的な信仰対象です。
庚申様として祀られる神々は、地域や時代によって様々ですが、代表的な神々としては以下のような神々が挙げられます。
青面金剛(しょうめんこんごう)
庚申信仰において最も一般的な本尊です。
中国道教の影響を受けた神様で、病魔退散の力があるとされています。青い顔と怒りの表情が特徴です。
天台宗の智証大師円珍によって日本に伝えられ、庚申信仰と結びつくことで、病気を防ぎ、長寿を願う神様として信仰されるようになりました。
庚申信仰においては、三猿(見ざる言わざる聞かざる)と共に、邪気を払う力を持つとされています。
帝釈天(たいしゃくてん)
天界の王であり、庚申信仰では人々の願いを聞き入れ、福を授けると考えられています。
日蓮宗の寺院「柴又帝釈天」、庚申信仰の聖地「柴又帝釈天」
日蓮宗と庚申信仰の関係を具体的に知る上で、柴又帝釈天は非常に興味深い例です。
柴又帝釈天は、日蓮宗の寺院でありながら、庚申信仰の聖地として知られています。
柴又帝釈天では、庚申講が盛んに行われており、地域の人々から厚い信仰を集めています。また、境内には庚申塔が多数建てられており、庚申信仰の歴史と深いつながりを感じることができます。
猿田彦大神(さるたひこおおみかみ)
道祖神として知られ、庚申の「申」の字が猿を連想させることから、庚申信仰と結びついた神様です。道案内の神としても信仰されています。
日本の古神であり、(道祖神として祀られる)道案内の神様として知られています。
庚申信仰においては、道迷いを防ぎ、正しい道を導く神様として信仰されるようになりました。
江戸時代後期には、庚申講の主尊として祀られるようになり、庚申信仰の重要な神となりました。
仏教では、庚申様として「青色金剛」や「帝釈天」が祀られ、神道では庚申様として「猿田彦大神」を祀っているのが一般的といえそうです。
馬頭観音(まとうかんのん)
一部の地域では、馬頭観音も庚申様として祀られています。
その他の仏様
観音菩薩、阿弥陀如来など、他の仏様も庚申様として祀られることがあります。
庚申信仰と猿との関係
庚申様は、単一の具体的な神様というよりは、様々な神々がその役割を担ってきた複合的な信仰対象です。また、猿神など日本には、古くから「猿」を祀る例がありました。
庚申信仰は、「猿」との関係を深掘りし、以下にレポートします。
庚申信仰と猿の関係性:神社や寺における具体例
庚申信仰と猿は、深く結びついた興味深い関係性を持っています。特に、日吉大社や日枝神社、柴又帝釈天などの神社や寺において、その関係性は顕著に見られます。
庚申信仰と猿の深い関係性
庚申信仰は、60日に一度巡ってくる庚申の日に、体内にある三尸という虫が天に昇って罪を告げるとの説に基づき、長寿を祈願する信仰です。この庚申の「申」の字が、猿を連想させることから、猿が庚申信仰と結びつき、様々な形で信仰の対象となってきました。
日吉大社・日枝神社における猿
- 猿田彦大神: これらの神社の主祭神である猿田彦大神は、道祖神として知られ、庚申信仰においても道案内の神様として信仰されてきました。
- 神猿(まさる): 日吉大社や日枝神社では、神猿と呼ばれる猿が神使として崇められています。神猿は、長寿や健康をもたらす神として信仰され、庚申信仰のシンボルの一つとなっています。
- 三猿: 見ざる・言わざる・聞かざるの三猿も、庚申信仰と深い関係があります。三尸の虫が人の悪行を天に告げることを防ぐために、これらの行動をしないようにという教えが、三猿の姿に表されていると考えられています。
日吉大社には、一般的な意味での「見ざる言わざる聞かざる」の三猿像は設置されていません。しかし、日吉大社と三猿には深い関わりがあります。
神猿(まさる)は三猿の起源: 日吉大社の神使である神猿は、三猿の起源とされています。天台宗中興の祖といわれる慈恵大師良源上人が神猿をテーマに詠んだ七猿歌の中に、「見ざる言わざる聞かざる」という言葉が含まれており、これが三猿のモチーフになったと言われています。
猿楽の起源: 能の祖である世阿弥は、著書『風姿花伝』の中で、猿楽は申楽であり、古くは神楽の1種であったと記しています。このことから、猿楽は日吉大社の神楽と深く結びついており、神猿は猿楽の起源にも関わっていると考えられています。
日吉大社では、神猿を様々な形で表現したものが数多く見られます。神猿像: 神楽殿には、神楽を奏でる神猿像が安置されています。
神猿の彫刻: 本殿やその他の建物には、神猿をモチーフにした彫刻が施されています。
神猿の絵画: 絵馬や絵巻物には、神猿が描かれています。
慈恵大師良源上人が神猿をテーマに詠んだ七猿歌とは?
天台宗中興の祖(比叡山園延暦寺で修行をつまれた) 慈恵大師良源上人が神猿をテーマに詠んだ七猿歌は、世の中で暮らす上での教えが込められた七つの歌のことです。
七猿歌の背景
- 日吉山王権現への願文: 良源上人が日吉山王権現に願文を捧げた際に詠み込まれた歌です。
- 神猿: 日吉大社の神使は猿であり、「まさる」は「魔が去る」に通じ、魔除けの象徴とされています。
- 三猿の源流: よく知られる「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿は、この七猿歌から生まれたと言われています。
七猿歌の意味
七つの歌は、それぞれが異なる角度から世の中との関わり方、心の持ち方などを説いています。
- 独り静かに過ごすことの大切さ: 世俗から離れ、自分自身と向き合うことの重要性を説いています。
- 世の中の出来事への向き合い方: すべての出来事に振り回されることなく、冷静に判断することの大切さを説いています。
- 心のあり方: 他人の悪口を言ったり、悪いことを考えたりしないことの大切さを説いています。
- 考え方の重要性: 単に目や耳を閉じるだけでなく、根本的に心を静め、物事を深く考えることの大切さを説いています。
七猿歌の現代における意味
七猿歌は、古くから人々に読まれ、現代においてもその教えは生きています。
- 心の平安: 現代社会は情報過多で、様々な情報が飛び交っています。七猿歌は、そんな中で心の平安を見つけるためのヒントを与えてくれます。
- 人間関係: 他人との関係において、どのように接すれば良いのかという指針を示してくれます。
- 自己成長: 自分自身を見つめ直し、成長していくためのきっかけを与えてくれます。
慈恵大師良源上人が天台宗の高僧でありながら、神道系の神である日吉山王権現に願文として「七猿歌」を詠んだことは、一見すると矛盾するように思えます。しかし、その背景には、平安時代の宗教観や、良源上人の深い仏教理解、そして日吉山王権現との深い関わりなどが複雑に絡み合っています。
平安時代は、仏教、神道、道教などが混淆し、それぞれの教義が相互に影響を与え合っていた時代です。人々は、仏教の教えを信じながらも、同時に神道的な信仰を持ち、様々な神々を祀ることが一般的でした。良源上人も、仏教の修行に励みながらも、神々への信仰心を抱いていたと考えられます。
日吉山王権現は、比叡山延暦寺の鎮守神であり、天台宗の僧侶たちからも深く信仰されていました。良源上人も、比叡山で修行中に日吉山王権現の加護を受けていたと伝えられています。また、日吉山王権現は、疫病退散や交通安全などの神様としても信仰されており、人々の生活に深く根付いていました。
七猿歌は、単に猿を詠んだ歌ではなく、人生の様々な場面で私たちを導いてくれる深い教えが込められています。現代を生きる私たちにとっても、その教えは十分に生きる価値のあるものです。
日吉大社は、神猿そのものが神聖な存在であり、三猿のように特定の行為を強調するような像を立てる必要がないと考えられているため、一般的な三猿像は設置されていないと考えられます。
柴又帝釈天における猿
- 帝釈天: 柴又帝釈天は、天界の王である帝釈天を祀る寺です。帝釈天は、庚申信仰においても人々の願いを聞き入れ、福を授けると考えられています。
- 猿の置物: 柴又帝釈天周辺では、猿の置物が多く見られます。これは、帝釈天と庚申信仰の結びつきを示すものです。
- 庚申塔: 境内には、様々な時代の庚申塔が数多く建てられています。これらの庚申塔には、三猿(見ざる言わざる聞かざる)や、猿と一体化した形の帝釈天像(帝釈天の頭上に猿が乗っている、あるいは帝釈天の肩に猿が抱きついているといった表現が一般的)などが刻まれています。
- はじき猿: 柴又の名物として知られる「はじき猿」は、棒にしがみつく猿をはじいて遊ぶ玩具です。
- 猿田彦大神: 境内には、道祖神として知られる猿田彦大神が祀られています。
猿田彦大神は、道案内の神様であり、庚申信仰においても、道迷いを防ぎ、正しい道を導く神様として信仰されてきました。
猿と柴又帝釈天の関係
帝釈天は、天界の王であり、仏教においては護法神として信仰されています。柴又帝釈天では、帝釈天が猿と深い関係を持つ神様として位置づけられています。柴又帝釈天には、猿をモチーフにした像や碑が数多く存在し、その歴史的な背景や信仰と深く結びついています。猿は、庚申信仰において邪気を払い、長寿をもたらす象徴的な存在であり、帝釈天は猿と深い関係を持つ神様として信仰されてきました。
- 白猿: 帝釈天のお使いとして、白い毛を持つ白猿がしばしば描かれます。
柴又帝釈天でも、白猿をモチーフにした絵画や彫刻を見ることができます。 - 猿薬王帝釈天: 柴又帝釈天では、「猿薬王帝釈天」という尊称で呼ばれることもあります。これは、帝釈天が猿と深く結びつき、人々の健康を守護する神様であることを示しています。
柴又帝釈天には、猿をモチーフにした像や碑が数多く存在し、その歴史的な背景や信仰と深く結びついています。猿は、庚申信仰において邪気を払い、長寿をもたらす象徴的な存在であり、帝釈天は猿と深い関係を持つ神様として信仰されてきました。
まとめ
庚申信仰は、日本文化の多様性(日本文化の奥深さ、多様性、八百万の神などの宗教観など)を垣間見ることができる信仰です。
一方、猿は古来“山神”とされ、猿神が日本土着の起源をもっていました。こうした山神としての猿信仰が、仏教とともに流入したインドの土俗神などとも習合し、さらに「日吉」「馬頭観音」「猿田彦」などの「庚申様」「庚申信仰」とも関連づけられ普及する中で、日本人の信仰が形づくられてきたのだという。
庚申信仰の歴史的な背景や、人々の願いが込められた信仰に、ロマンを感じることができます。また、各地の庚申信仰は、その地域の文化や歴史を反映しており、地域研究の対象としても興味深いものです。
興味深いですよ!「庚申」「庚申信仰」「庚申様」と「猿」。